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イスラム国の人質 Part. 3

後藤さんの妻が解放求める音声メッセージを公開
2015. 1. 30(金)

後藤健二さんの妻が、フリーランスジャーナリストを支援するイギリスの団体を通じて、29日、初めて声明を出した。英語による音声メッセージで、ロイター通信から世界に配信された。

健二さんを捕らえている組織から、ヨルダンで収監中の死刑囚の釈放を世界に訴えるように要求されたことを明らかにした。

《メッセージの全文》
[東洋経済オンライン 1月30日1:45 配信 ]より引用した

私の名前はリンコです。シリアで捕らえられたジャーナリスト、後藤健二の妻です。彼は2014年10月25日、私の元からいなくなりました。それ以来、私は彼の解放のため、舞台裏で休むことなく働き続けてきました。

私は今まで声明を出すことを避けてきました。なぜならば健二の苦悩に対するメディアの注目が世界中で騒ぎ立てられています。私は自分の子どもと家族をそこから守ろうと考えていました。私たち夫婦には2人の幼い娘がいます。娘は健二が日本を離れたときには、わずか生後3週間でした。私は2歳の上の娘が再び父親に会えることを望んでいます。2人の娘が父親のことを知りながら、成長していくことを望んでいます。

私の夫は善良で、正直な人間です。苦しむ人々の困窮した様子を報じるためにシリアへ向かいました。健二は湯川遥菜さんの居場所を探し出そうとしていたと推測できます。私は遥菜さんが亡くなったことに、非常に悲しい思いをしました。そして、彼の家族の悲しみを思いました。家族の皆さんがどれだけつらい思いをされているかがわかるからです。

12月2日、健二を拘束したグループからメールを受け取ったとき、健二がトラブルの中にあることを知りました。1月20日、私は湯川さんと健二の身代金として2億ドルを要求する動画を見ました。それ以来、私とグループとの間でメールを何回かやり取りしました。私は彼の命を救おうと戦ったのです。

20時間ほど前に、誘拐犯は私に最新の、そして最後の要求とみられる文章を送ってきました。
「リンコ、お前はこのメッセージを世界のメディアに対して公表し、広げなければならない。さもなければ、健二が次だ。29日木曜日の日没までに、健二と交換するサジダがトルコ国境付近にいなければ、ヨルダン人パイロットを即座に殺すつもりだ。


これは私の夫にとって最後のチャンスであり、彼の解放と、ムアス・カサスベさんの命を救うには、あと数時間しかないことを心配しています。ヨルダン政府と日本政府の手中に2人の運命が委ねられていることを考えてほしいと思います。

同時に私はヨルダン政府と日本政府のすべての努力に対して感謝しています。ヨルダンと日本の人々から寄せられる同情に対しても、感謝しています。

私が小さかったころ、私の家族はヨルダンに住んでいました。そのため私は12歳になるまでアンマンの学校に通っていました。だから、私にはヨルダンとヨルダンの人々に対して、特別な感情を持っており、多くの思い出があります。

最後に、私は私と娘たちを支えてくれた私の家族、友人たち、そして健二の同僚に感謝しています。私の夫とヨルダン人パイロット、ムアス・カサスベさんの無事を祈っています。リンコ 」


誘拐した側が、人質の家族に声明を公開せよと要求することは、前代未聞のことだろう。これも電子メールという便利なツールのお陰だ。

この長文の声明を書き上げることにも、時間がかかったことと思われる。下手に誘拐犯を刺激することなく、しかも水面下で交渉に当たっているヨルダン政府と日本政府への感謝を述べている。なかなか解放にいたらないことへのいらだち、イスラム国への憤りなどももちろんあるけれど、それを声明に入れることは許されない。

健二さんの妻は、ジャイカに勤務とNHKは今朝の7時のニュースで報じている。ヨルダンで暮らした経験があるので、音声を聞いても、英語に堪能だということがわかる。

この声明の公表については、フリーランスジャーナリストを支援する英国の団体が尽力したという。

日本国民だけでなく、世界中の多くの人々が後藤さんの無事な解放を待ち望んでいる。解放の交渉がまとまることを心から願うものである。

# by rockyj | 2015-01-30 10:48  

イスラム国の人質 Part.2

人質解放、いまだ進展せず
2015. 1. 29(木)

過激派組織のイスラム国に人質となっている後藤健二さんはまだ解放されていない。

《これまでの動き》

1/20 後藤さんと湯川さんの捕らわれている映像を公開
(72時間以内に、身代金2億ドルを支払うように要求する)

1/24 後藤さんだけの画像と英語の音声を公開(殺害されたと見られる湯川さんの写真を、後藤さんに持たせている)

1/26 ヨルダン国王がイスラム国に捕虜となっている戦闘機のパイロットの解放が最優先だと表明する

1/27 後藤さんの画像と英語による音声を再び公開する
(24時間以内にヨルダンに収監中のリシャウイ死刑囚と後藤さんとの交換を要求する)

1/28 ヨルダン国営テレビが、同国のメディア担当相が、「イスラム国」に拘束中のパイロットが解放されれば、リシャウイ死刑囚を釈放する用意があると述べたと報じる
(後藤さんについての言及はなかった)

1/29 AM8:00 インターネット上に新たな音声メッセージが公開される
後藤健二さんの英語の音声とアラビア語のメッセージが流された
「29日の日没(日本時間では午後11時30分)までに、トルコ国境に私と引き換えとなるリシャウイ死刑囚を連れてこなければ、捕虜となっているヨルダンのパイロットが直ちに殺害される」

◎トルコ国境と指示したことで、後藤さんがトルコ国境に近いところにいることが推定される

◎パイロットの解放には、言及していない

◎残り時間は15時間しかない!

シリア上空を飛行することは危険なので、死刑囚を乗せた飛行機は、アンマンから地中海に出て、トルコ領内の空港まで飛行し、そこからトルコ国境まで車で移動する方法をとるだろう。いずれにしても移動に時間を要するので、ヨルダン政府はイスラム国との交渉で、パイロットの解放も相手に認めさせるという難しい取引を早急にしなければならない。(中東専門家の解説にょり)

《昨年8月からの政府の動きはこうだった》

27日の衆議院代表質問
民主党・ 前原誠司氏
「イスラム国」による人質事件では、ほかに拘束されている日本人はいないのか。

安倍晋三首相
「現在、映像が公開された二人のほかに、人質となっている日本人の情報には接していない。昨年8月および11月に、それぞれの行方不明事案の発生を把握した直後、官邸に連絡室、外務省に対策室を立ち上げるとともに、ヨルダンにぽいて現地対策本部を立ち上げ、あらゆるルートやチャンネルんを通じて、情報収集や協力要請を行ってきた。後藤健二さんの早期解決に向けて全力を尽くす。」

菅官房長官の記者会見

「8月17日に官邸に連絡室、外務省に対策室を設置し、後藤健二さんの行方不明を受けて11月1日に外務省に対策室とアンマンにも現地対策本部を設置した。事案の性質上、非公開とした」

# by rockyj | 2015-01-29 11:21  

イスラム国の人質

日本人人質の殺害
2015. 1. 26(月) 午後から小雨

今朝の新聞は、過激派組織のイスラム国に拘束されていた日本人二人のうち、湯川さんが殺害されたことを伝える記事が一面のトップだった。

24日(土)の午後11時40分過ぎに、人質となっていたフリージャーナリストの後藤健二さん(47)が、殺害されたと思われる湯川さんの写真を持たされて、メッセージを伝えている画像がインターネット上に公開された。

このニュースは、締め切り時間が過ぎていた新聞には間に合わず、日曜日の各新聞には掲載されなかった。そこで、新聞への掲載は、本日、月曜日となったわけだ。

後藤さんが両手に大きな鎖と手錠をかけられていることは、テレビの画面でよく確認できた。表情は、4日前に公開されたものと比べて暗く、しかもやつれていて、心身ともに過酷な状況のもとにあることを物語っていて、見るのがつらくなる。

後藤健二さんは、イスラム国に拘束された湯川さんを一度は救出することができた。昨年の8月、民間軍事会社を設立している湯川さんは、銃を携帯して、再び、トルコからシリア北部に入っていき、またしても拘束されてしまう。

後藤健二さんが、今回、イスラム国に入った目的は、この拘束されている湯川さんを救出するためだったという。

《自己責任論という考え方について》

私は記事を読んではいないのだが、ネット上では、過激派組織のイスラム国に拘束されていたことが判明した日本人二人について、自己責任論が展開されていて、二人は厳しく批判されているようだ。

外務省もシリアへの旅行については、2011年に政府軍と反体制派との戦闘が始まってからは渡航に注意を喚起し、ことに過激派組織のイスラム国の台頭によるシリア全土への戦乱の拡大が起こると、渡航をしないように呼びかけている。大使館も閉鎖されているはずだ。

日本人がそういう危険な国に入ること自体が間違っているという考え方には、一理あると思う。

二人の日本人は、どういう経歴の持ち主なのかを私は知らないが、報道されているところからは、以下のようなことがわかってきた。

湯川遥菜(はるな)さん(42)は、千葉市出身で民間軍事会社を設立しているという。イラク戦争においては、アメリカ軍の武器・弾薬等の輸送において、民間の軍事会社が大活躍をした。きわめて危険な業務で、輸送中に襲撃を受けることもよくあったが、報酬がよかった。彼らは、襲撃に供えて身を守るために武器を携帯していた。しかし、民間軍事会社は、そもそも日本でのビジネスがないし、海外での、それも紛争地におけるビジネスに限定される。

放映された湯川さんのブログでは、自分が銃を携行して、シリアに入っている。はっきりと言うと、彼は戦争の真似ごとをしたかっただけではないのか。戦地に行き、小銃を撃ってみたかっただけではないのか。私にはそうとしか考えられない。

これをイスラム国の側から考えると、湯川さんを自分たちの敵だというとらえ方をするのは、当然のことだ。実際に、イスラム国に捕えられたときのビデオを見ると、職業を尋ねられて「写真家だ」と答えると、「写真家がどうして銃を持っているのか?」と厳しく尋問されている。

一方、後藤健二さん(47)は仙台市出身のフリージャーナリストで、アフリカや中東などの紛争地の実情を取材し、世界に伝えようとしていた。書籍の出版もしている。

とくに争いに巻き込まれた民衆、なかでも子どもたちの姿を取材し、映像や写真におさめている。テレビでは、中学校、高校、大学などで生徒や学生達への講演をしばしば行ってきた人だということを報じている。

先に書いたように、後藤さんがイスラム国に行った目的は、湯川さんの救出のためだった。このことからも後藤さんが正義感の強い人であるということがよくわかる。

しかし、ここで今のシリアの危険な状況を考えたとき、個人の力で拘束されている人を救出できるかどうかを後藤さんは慎重に判断すべきだったと思う。

日本政府が救出するように、外務省などに家族とともに要請活動をすべきだったのではないだろうか。また、国民に広くこの状況を訴えて、政府の救出活動を後押しすることに取り組む必要があったと思うのだ。

《日本政府の対応に問題はなかったのか》



自国民を守るべき日本政府は、拘束された湯川さんや、行方不明となった後藤さんの救出について、どう動いたのだろうか。これから、次第にその経過が報道されるのだろうが、国民に対しては、二人が行方不明になっていることは、全く説明がなされていなかった。

後藤さんについては、ネット上の報道に、次の記事が出ている。
◎10月25日、シリア人のガイドに撮影してもらった映像の中で、次のように語っている。

「これからラッカに向かいます。イスラム国の拠点といわれているので、非常に危険なので、何が起こるかわからない。何が起こっても、シリアの人たちを恨みません。責任は私自身にあります。まあ、必ず生きて戻りますけどね。」

◎11月1日ごろ、トルコに住む知人のシリア人に「ガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」という電話があった。

◎数日後には、東京の後藤さんの家族(妻)に、イスラム国の関係者からメールが届き、20億円の身代金の支払いを要求してきた。(妻は外務省にこのことを知らせたという)

《安倍外交、慢心と誤算》

「週刊朝日」2月6日増大号の見出しにある文言である。
今回の安倍首相の中東訪問に合わせるような形で、日本人人質問題がインターネット上に発信され、日本国民を驚かせることになった。

二人の人質の身代金の金額、「2億ドル」は安倍首相が中東の難民の住居や食料など、非軍事部門への援助として今回、約束をしたものであったと日本政府は官房長官の記者会見で説明をした。

ところが、1月17日、エジプトのカイロで支援を表明した記者会見での安倍首相の発言の内容は、次のようになっていた。

「ISIL(イスラム国)と戦う周辺諸国に総額で2億ドル程度支援をお約束する」

どこにも難民のための非軍事部門への援助だとは、話していなかった。官房長官の談話は、人質問題が発生してから、あわてて首相の説明をすりかえたと言っていいだろう。

日本人二人を昨年から拘束していたイスラム国は、安倍首相のこの援助発言を受けて、自分たちへの敵対行為であると考えて、同じ金額を身代金として要求してきたと考えられる。

週刊朝日は「人質、わかっていたのにーー首相のうっかり発言が招いた非常事態」とまで書いている。安倍首相の不用意な発言がイスラム国を刺激し、同額の身代金の要求となったと断言していい。

# by rockyj | 2015-01-26 16:03  

帝塚山

マッサンとリタの暮らした帝塚山を歩く
2015. 1. 18(日)

リレーWALKの番外編で、帝塚山の町歩きに高校の同窓生K君と一緒に参加してきた。
11月以来の出会いとなった。

AM8:55 住吉東駅から5分近く歩くと、市営住宅の間にのぼりが立っていて、参加者が集合しているのが見えた。ここで先に来ていたK君と合流して、300円を払って受付を済ます。4班に入る。

この市営住宅が建設されているあたりに、マッサンこと竹鶴政孝が大阪で最初に勤めた摂津酒造があった。
《摂津酒造
阿部喜兵衛氏が社長で、明治40(1907)年からアルコール製造に着手し、自社で醸造したアルコールをもとに、ブランディ、ウイスキー、甘味葡萄酒などを製造し、大正当時は三大アルコール製造会社の一つに数えられた。

マッサンはここでの働きぶりを認められて、ウイスキーの本場であるスコットランドに派遣されて、ウイスキー造りの技術を学んだ。そして、リタと結ばれる。


AM9:30 摂津酒造の説明を受けてから、一行はガイドの案内で阪堺電車上町線の神ノ木駅を右手に眺めながら、線路伝いに行き、やがて線路を渡って帝塚山の住宅街に入っていく。
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《 蔵と洋館の市川家住宅》
(帝塚山西4丁目)
母屋の二階部分が洋館で和洋折衷を取り入れた造りは、帝塚山地域でも非常に珍しい。
2012年3月、大阪市の都市景観資源に登録された。

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漆喰の壁と木がフラメンコに最適なことから、土蔵を本格的なフラメンコスタジオに再生使用している。壁の厚さは40cmもあり、曲がった太い松の柱が天井を支えている(市川恵子フラメンコ舞踊研究所)

住吉小学校と住吉中学校との間の道を行くと、マンション建設反対の垂れ幕等が軒先などにぶらさがっている光景に出会う。近くで5階建てのマンション建設が始められている。高級住宅地の景観上、まことに見苦しい眺めである。

すでにマンションの建設は始まっているのだが、業者の住民への説明会なども行われたはずである。日照権については、建築基準法をクリアしているはずだが、やはりマンションのベランダから自分の家を覗かれたり、見下ろされたりすることへの嫌悪感が先に立つのだろう。

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《帝塚山古墳》

(帝塚山西2丁目)
住宅街の中にある前方後円墳で、全長120m、前方部の幅が約50m、高さ約8m、後円部の直径約57m、高さは約10mある。

前方部から出土した円筒埴輪から、4世紀末から5世紀はじめに築造されたと推定されている。大阪市内で前方後円墳として原形をとどめるただ一つの貴重な古墳。被葬者は不明だが、住吉に居宅があった大伴金村の墳墓とする説があるという。

〈住吉村常盤会〉


地区の一般財団法人「住吉村常盤会」は、旧大阪府東成郡住吉村を中心とした地域の教育環境、福祉の充実、伝統文化の維持、文化財の保全に寄与することを目的に活動している。対象は旧住吉村に限定していたが、2014年度から広範囲にその活動の輪を広げている。
帝塚山古墳は住吉村常盤会が保有しており、貴重な文化財として保全と管理を行っている。


古墳の前で住吉会常盤会の方々が、帝塚山に登頂したことを証明する「登山証明書」を100円で販売していたので、古墳の適切な維持・管理のために 使われると信じて、記念に買った。


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前方部から後円部を眺める。後円部は北に向いている。上町台地の南端部にあるので、古墳が築かれた当時は、西側近くまで海が迫っていたので、海からもよく望めただろう。
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前方部には、国土地理院の三等三角点が埋め込まれているから、ここは立派な山である。
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《帝塚山学院》
(帝塚山中3丁目)
大正時代の初めに帝塚山の丘陵地帯が宅地造成され、高級住宅などが建設された。大正6年に「帝塚山学院小学部」が開校した。
リタはこの学校で講師として勤務し、英語を教えている。期間は大正11年9月20日から13年12月31日までである。
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帝塚山学院のシックで落ち着いた感じの建物が地区の景観に貢献していることで、大阪都市景観建築賞の特別賞を受けている
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《高谷家住宅》
(帝塚山中3丁目)
切り妻屋根のてっぺんには風見鶏、二つの屋根窓と煙突が童話に出てきそうな雰囲気を見せている。応接室は船室に見立てられ、船の窓のようにはめ込まれたステンドグラスには、ヨットの絵柄が描かれているという。(非公開) 大正13(1924)年ごろの建築。登録有形文化財
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《 万代池(ばんだいいけ)》
(万代3丁目)
聖徳太子が曼荼羅教をあげて、この池に住む魔物を鎮めたことから、「まんだら」がなまって、バンダイとなったという伝承があるという。池の周りを歩いたり、ジョギングする人々がいた。
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戦前に建築されたであろう木造の大きなお屋敷や、このようにモダンな建築があちこちに点在する帝塚山であるが、大きな屋敷は次々と売却されて、マンションが増えてきているという。
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安藤忠雄氏設計の個人住宅
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これも安藤氏の設計した事務所
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竹鶴夫妻が暮らした住居の推定地の近くで、証拠となる文書を手に説明するガイド氏

スコットランドから帰国した夫妻は、資産家であった芝川 又四郎氏が洋風に改築した家を借りて、姫松のあたりに住んでいた。地元の歴史愛好家の方々が芝川氏の自叙伝と証言をもとに、夫妻の借家があった場所を特定することができたという。

私たち町歩きの一行は、ガイドの案内で夫妻が利用したであろう阪堺電車の姫松駅へと歩く
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開業当時のままの姿の姫松駅。築100年になるという。
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天王寺まで、姫松駅から乗車する。
料金は一律200円で、堺市が資金を補助して、利用者の増加をめざしている(従来は280円)

〈ここまでの説明は、以下のパンフレットに書かれていることを引用させていただいた〉

◎「リタとマッサン」の住んだレトロモダンのまち・帝塚山を往く (当日に配布された地図入りのパンフレット)

◎大阪・すみよし まるごと紹介します すみ博ガイド
(企画・発行 すみよし博覧会実行委員会)
(協力・大阪市住吉区役所)
(発行日・2014年9月)
歴史と文化に恵まれた住吉区の魅力を発信している街歩きに役立つガイドブックで、地図もあり、よくできた冊子だ。

この後、近鉄百貨店の地下2階の軽食堂街の丼丼亭(どんどんてい)で丼物の昼食をとる。

【竹鶴政孝とリタの資料展】
(住吉区役所・主催)
あべのハルカス近鉄本店の7階で開催中の資料展を見に行く。
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広島県竹原市の造り酒屋に生まれた竹鶴政孝(写真の中央)
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竹鶴政孝とリタ夫妻(この写真は、関連する書籍、ポスターなどによく用いられている)
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着物姿のリタ
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帝塚山学院小学部に勤務したリタ
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竹鶴夫妻が帰国後、借りて住んだ住吉区姫松の洋館
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ニッカウヰスキーの前身「大日本果汁株式会社」の設立時に作成された契約書の複製
(手にとって見ることができる)
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原本は大阪市住之江区の不動産会社「千島土地」の所蔵で、社会貢献の一環で、古文書の複製を手がける富士ゼロックスが昨年12月に複製づくりをもちかけて実現したという。

契約書の日付けは昭和9年6月8日で、発起人のトップには、資産家であった芝川 又四郎氏の名前がある。
[2015年1月18日付け 朝日新聞朝刊に掲載された《マッサンの足跡》と題した記事より引用した]

# by rockyj | 2015-01-22 10:56  

仏新聞社襲撃 Part.3

風刺画を出版した会社とは
2015. 1. 20(火)

午後から図書館に本の返却にバスで出かけた。
いつものように新聞を読み始めた。3月からは新聞購読をやめる予定なので、ここでいくつもの新聞を読む楽しみが増える。また、ネットでのヤフーのニュースも速報性があるだろう。

図書館で午後から読んだ 週刊文春の記事を紹介したい。

《腕や足が三本の力士が向かい合い、防護服を着たレポーターが「フクシマのおかげで、相撲が五輪競技になった」と実況》

東日本大震災の被災者の感情を逆撫でする風刺画を描いたジャン・カビュ氏(26)も犠牲になった。

このとき、日本政府は、新聞社に抗議した。しかし、掲載した「カナール・アンシェネ」の編集長は、
「フランスでは悲劇をユーモアによって扱うことができるが、日本ではそうではないようだ」と突っぱねた。

現地ジャーナリストは「フクシマを揶揄(やゆ)しているのではなく、日本の原発政策を批判しているという主張だと」いう。

フランスでは、宗教や政治を一切、タブーなく風刺するのが18世紀のフランス革命以来の伝統で、読み取るのには教養が必要である。高級紙「ル・モンド」の一面にも掲載されている。





# by rockyj | 2015-01-20 21:38