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今も残る名建築物

  京都の名建築を見て歩く 
 2017. 5.28

 図書館にある週刊誌、「週刊新潮」と「週刊文春」の二誌を行くたびに愛読している。

 4月になって「週刊新潮」に《続「蒼穹から名建築」》というモノクロ写真を掲載したページがあることに気づいた。

 ここに京都の名建築が連載されていた。「蒼穹から」と題されているように、ヘリか飛行機から撮影されたと思われる建物の全景をとらえた航空写真が毎号、掲載されていて、下に建物について解説がある。

 京都と奈良は、太平洋戦争では米軍の爆撃を免れて、歴史的に価値のある建築物が残された。これにはアメリカの学者の意見が取り入れられたものだろう。

 早速、京都の名建築を取り上げた新潮の4月から連休後までの各号を予約した。

 京都なら日帰り旅で見に行くことができる。

 そして、その機会は早くも訪れる。「海北友松展」を見に行くことになったからだ。

 【日本聖公会 聖アグネス教会】

 (京都市上京区烏丸通下立売角) 
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 平安女学院が大阪からこの地に来て3年後の1898(明治31)年、英国国教会の流れをくむ日本聖公会の聖堂として完成した。

 設計者のJ.M.ガーディナーは、立教大学の元校長。当初は三位一体(さんみいったい)の神を表す「聖三一大聖堂」と言ったが、現在残る名称は学院の英語名「St.Agnes School」にちなむものだ。

 聖アグネスとは、乙女の守護者とされている。
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 ゴシック様式のレンガ造り。左手の方向が真南で、南西角にはとがり屋根をのせた八角形の洗礼室が張りだしている。

 私の写真は、広大な京都御所側から撮影したもので、教会との間の道は行幸道路だった烏丸通(からすまとおり)で、南に直進すれば京都駅だ
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 入口は北西の隅にあり、北東には三層の鐘楼が立つ
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 右奥の白い建物は、平安女学院中学高校
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 鐘楼の最上層は、飾り格子のトレサリー窓、中層は円形のバラ窓と切り替えられていて、単調に陥らない工夫が見られる


 【京都府庁 旧本館】


 (京都市上京区下立売通)
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 設計は府技師の松室重光で、着工した1901(明治34)年には、彼はまだ28歳の若さであったという。竣工は1904(明治37)年。

 ルネサンス様式の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に、左右両翼に対称に張りだした形となっていて、西洋近世の大邸館をほうふつとさせるものがある。

 国の重要文化財  平成16(2004)年12月10日指定
 〈一般公開〉 

 火曜日から金曜日、土曜日(第1週、3週、5週)10:00~17:00
  無料
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 昭和46年まで府庁本館として使われていて、現在も執務室として使用されている。現役の官公庁舎で、創建時の姿をとどめているものとしては、国内で最古の建物である。 

 【京都ハリストス正教会 生神女(しょうしんじょ)福音聖堂】

 (京都市中京区柳馬場通)

 ギリシャ正教の西日本における布教活動の拠点として、1901(明治34)年に着工し、1903(明治36)年に完成した。

 最古級の本格的ロシア・ビザンチン様式による正教会の聖堂。

 堂内に三段で構成される帝政ロシア時代のイコノスタシス【イコンによる間仕切り)がある。
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 設計は京都府庁舎を手がけた松室重光。
 
 1901(明治34)年、生神女福音聖堂が建設される
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 玄関、啓蒙所、聖所、至聖所が一直線に並んで、聖所を中心にして、平面的に教会全体が十字架の形をしている。

 建設当時は、周りには建物もなく、広々とした敷地に建てられたと思われるが、現在はマンションや民家に周囲をすっかり取り囲まれてしまっている

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 玄関上に高さ22mの鐘楼がそびえる。
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 【京都国立博物館】

 (東山区茶屋町527)

 宮廷建築家の片山東熊の設計によるレンガ造り平屋建て。片山は赤坂離宮、奈良国立博物館本館などの設計をした。

 1892(明治25)年6月、着工し、1895(明治28)年10月に竣工した。開館は1897(明治30)年。
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 堂々とした構えを見せる国立博物館の本館の全景。フレンチルネサンス様式。大小11の展示室から成る。

 耐震改修計画のため、当分の間、閉館中。
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 こちらが正門である

 正門を出て、あらためて本館を眺める。それにしてもこの正門の見事さも素晴らしい。しばし、この場で見入ってしまった。

 海北友松展は三十三間堂の前にある脇の通用門から入場して、通用門から出るようになっていた。
 この正門からも出ることができるのだが、多くの人々は通用門へと帰っていくので、この正門の美しさに気づかないのは、とてももったいないことだ。


 

   

by rockyj | 2017-05-28 10:07  

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