小林麻央

  市川海老蔵、記者会見 
 2017.6.24(土)

   堺市に住む長男には、4歳と1歳の男の子供がいる。夫婦共働きで、建売住宅を購入して、頑張っている。嫁の両親が近くに住んでいて、2人の孫を夕方、保育所に迎えに行ってくれている。保育所に預けている子どもの体調がよくないと、こちらに子守りの依頼が来る。

 先週の14日(水)は、下の弟の子守りに午後1時に着くように頼まれた。到着して、出勤する嫁とバトンタッチ。ちびちゃんは幸いなことに寝ていた。2時過ぎに目覚めてからが、なにかと大変であった。ちびちゃんにしてみると、月に一度、会うか会わないかのメガネのじいさんがいるのだから、びっくりだ。まず、ひとしきり泣いた。このあと、抱いてあやしながら、お茶を飲ませてあげたり、ゼリー状のものをスプーンで口に入れてあげたりと、がんばりました。夕方の風に当たって涼もうと、家の外に抱いて出たりもしてみた。ようやく、午後5時に寝付いてくれて、やれやれ。

 22日(木)の午後からは、今度は上の子供の子守り。熱さましシートをおでこにはりつけていて、出勤するママとは泣いて、泣いて「ママがいい」と言いながら、泣き寝入り。なんと夕方の5時半まで眠り込んでいました。よっぽど疲れていたのだな。おかげでしっかり読書ができた。

 昨日(23日)も引き続き、もう一度、上の子供の子守りに早朝から車で出かける。熱もなく、とても元気に回復している。日曜日にノロウイルス全快の医師の診断書をもらわないと、保育所に行けない。4歳だから、大阪弁でよくしゃべるので、会話が楽しい。上の子は自分でTVも操作できるから、怪獣物を喜んで視聴していた。夕方、近くの店まで,おやつを買いに一緒に出かけた。

 【海老蔵の会見から】
 
  夕方、パパが帰ってくるまでテレビを見ていると、市川海老蔵の記者会見が始まった。妻の小林麻央が22日(木)の夜に亡くなったのだという。知らなかった。

 (以下の会見の言葉は、録画した番組から書き出したもの)

 「これは不思議な話ですけれど、息を引き取る瞬間を見ていました。その時に、『愛してる』と言って。(涙)彼女が・・・そのひとことを言って(涙)、泣いちゃいますよね。そのひとこと。『愛してる』と言って、そのまま旅立ちました」

 海老蔵はそう言って,再び、涙を手で拭った。ハンカチを彼は用意していなかったようだった。

 その直後、信じられない質問が前列の女性記者から投げかけられた。

 「この愛してるという言葉は、麻央さんがちゃんと受け止めたように見えましたか?」

 違うでしょ‼あなたこそ、この厳粛な場面を述べた海老蔵の言葉をきちんと受け止めていなかった‼
 海老蔵が言ったのではなく、麻央さんが「愛してる」と言ったんだよ。新聞か、週刊誌か、テレビ局のリポーターかは分からないけれど、もう少し、人の話をしっかりと聞き取ってほしいものだ。聞いていて、無性に腹が立ったのは、私だけではなかっただろう。

 このトンチンカンな質問は、当たり前のことだったが、以後、放送された各放送局の小林麻央の特集番組では、カットされていましたよ。

 海老蔵もすぐに次のように切り返した。

 「いや、僕が言ったわけではなく、彼女が旅立つ間際に『愛してる』の(る) が聞こえたか、聞こえなかったかわからないけれど、『愛してる』と言って、麻央は旅立ちました」

[こんなに愛されていたのは、よくわかっていたんですけど、最期の最期まで愛してくれていたことに(涙)何とも言えませんね(涙)」

 《100人の社会に影響を与えた女性の一人に選ばれる》


  小林麻央は、2016年、イギリスの公共放送BBCから「社会に影響を与えた100人の女性」の一人に選ばれている。日本人としては、初めてだ。

 既成概念を破り、闘病中のブログが多くの人々に、勇気を与えたことが選ばれた理由だった。

 小林麻央はBBCに寄せた文章に、次のように述べている。

 「私は闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心をしました。私が怖れていた世界は、優しさと愛にあふれていました。

 人の死は病気であるかにかかわらず、いつ訪れるかわかりません。例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。

 「まだ34歳の若さでかわいそうに」
 「小さな子供を残し、かわいそうに」でしょうか??

 私はそんなっふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。

 私の人生は、夢をかなえ、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した色どり豊かな人生だからです。

 だから、与えられた時間を病気の色だけに支配されることは、やめました。




 小林麻央には姉の小林麻耶(37)がいる。この2人は実に仲がいいという。けんかは麻耶が中三の時に一度、しただけだという。この時は麻央が姉のアイスキャンデーを食べたことからだという。

 姉の麻耶は著書「まや道」で、「麻央ちゃんのためなら命も差し出せる」と書いているという。また、妹もこの本に寄せた手記で「生まれ変わっても、姉の妹がいい」と書いているそうだ。

 麻央にとって宝物だった二人の子ども、長女の麗禾(れいか)5歳、長男の勘玄(かんげん)4歳がいる。会見では、2人の子どもへの思いも切々と 語っていた。

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# by rockyj | 2017-06-24 11:49 | Comments(1)  

天皇の退位を実現する法律

  天皇陛下の退位、2年後に実現‼ 
 2017. 6.10(土)
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(ヤマツツジ)
  昨年の8月8日、天皇陛下がビデオメッセージの形で、退位の意向をにじませたお気持ちを国民に述べられた。これを聴いて、私も天皇陛下の直面されている老いと様々な公務との関わりについて、そのお気持ちをよく理解することが出来た。

 政府が急いで作った有識者会議は、先に結論ありきの会議ではあったが、皇室についての学者等から意見を聴取する作業をし、話し合われたその内容は公表された。

 有識者会議の提言を参考にしつつ、国会が天皇陛下の退位を実現するための法案作成に取り組み、6月9日午前、参議院本会議で自由党を除く与野党の全会一致で法案が可決、成立した。

 天皇の終身在位を定めた明治以降で初めてで、江戸時代後期の光格天皇の退位以来、約200年ぶりの天皇の退位が実現することになる。
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 (天野街道に咲くササユリ)
 【天皇の退位等に関する皇室典範特例法】 

 (趣旨)
第1条 この法律は、天皇陛下が昭和64年1月7日の御即位以来、28年を超える長期にわたり、国事行為のほか全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、

 これに対し、国民は御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、

 さらに、皇嗣である皇太子殿下は57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられること、

 という現下の状況に鑑み、皇室典範第4条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。

 (天皇の退位及び皇嗣の即位)

 第2条 天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。

 (上皇)

 第3条 前条の規定により退位した天皇は、上皇とする。

 (上皇后)

 第4条 上皇の后は、上皇后とする。

 (皇位継承後の皇嗣)

 第5条 第2条の規定による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例による。


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(八ヶ峰に咲く花)
  〈解説〉
 〇皇位継承は皇室典範で定めるとした憲法第2条との整合性をとっていること。

 皇室典範の第4条には、「天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位する」と定められている。そこで、特例法は附則第3条を設けた。

 「皇室典範の一部を次のように改正する。附則に次の一項を加える。

 この法律の特例として天皇の退位について定める天皇の退位等に関する皇室典範特例法は,この法律と一体を成すものである。

 〇皇位継承の理由を「崩御」に限るとしている皇室典範に特例を位置づけたこと。

 〇退位の時期については、特例法の附則 第1条にある。

 「この法律は公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」

 皇族のほか、首相ら三権の長でつくる皇室会議の意見を聴いて、政令で定める。特例法は来週中に公布される予定だ。

<退位はいつになるのか>

報道されているところでは、2018年12月23日は天皇誕生日で祝賀の行事がある。12月25日は大正天皇が逝去された日で、皇居で祭祀が行われるという。

 したがって、国民生活への影響を最小限にするため、12月26日から31日までの間に皇太子殿下が天皇に即位されるのではないかとみられている。新しい元号は、その時に公表され、2019年1月1日から新元号が使われることになるという。


 2年後には新しい天皇陛下が誕生されることになるだろう。



 


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# by rockyj | 2017-06-10 10:13 | Comments(0)  

今も残る名建築物

  京都の名建築を見て歩く 
 2017. 5.28

 図書館にある週刊誌、「週刊新潮」と「週刊文春」の二誌を行くたびに愛読している。

 4月になって「週刊新潮」に《続「蒼穹から名建築」》というモノクロ写真を掲載したページがあることに気づいた。

 ここに京都の名建築が連載されていた。「蒼穹から」と題されているように、ヘリか飛行機から撮影されたと思われる建物の全景をとらえた航空写真が毎号、掲載されていて、下に建物について解説がある。

 京都と奈良は、太平洋戦争では米軍の爆撃を免れて、歴史的に価値のある建築物が残された。これにはアメリカの学者の意見が取り入れられたものだろう。

 早速、京都の名建築を取り上げた新潮の4月から連休後までの各号を予約した。

 京都なら日帰り旅で見に行くことができる。

 そして、その機会は早くも訪れる。「海北友松展」を見に行くことになったからだ。

 【日本聖公会 聖アグネス教会】

 (京都市上京区烏丸通下立売角) 
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 平安女学院が大阪からこの地に来て3年後の1898(明治31)年、英国国教会の流れをくむ日本聖公会の聖堂として完成した。

 設計者のJ.M.ガーディナーは、立教大学の元校長。当初は三位一体(さんみいったい)の神を表す「聖三一大聖堂」と言ったが、現在残る名称は学院の英語名「St.Agnes School」にちなむものだ。

 聖アグネスとは、乙女の守護者とされている。
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 ゴシック様式のレンガ造り。左手の方向が真南で、南西角にはとがり屋根をのせた八角形の洗礼室が張りだしている。

 私の写真は、広大な京都御所側から撮影したもので、教会との間の道は行幸道路だった烏丸通(からすまとおり)で、南に直進すれば京都駅だ
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 入口は北西の隅にあり、北東には三層の鐘楼が立つ
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 右奥の白い建物は、平安女学院中学高校
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 鐘楼の最上層は、飾り格子のトレサリー窓、中層は円形のバラ窓と切り替えられていて、単調に陥らない工夫が見られる


 【京都府庁 旧本館】


 (京都市上京区下立売通)
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 設計は府技師の松室重光で、着工した1901(明治34)年には、彼はまだ28歳の若さであったという。竣工は1904(明治37)年。

 ルネサンス様式の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に、左右両翼に対称に張りだした形となっていて、西洋近世の大邸館をほうふつとさせるものがある。

 国の重要文化財  平成16(2004)年12月10日指定
 〈一般公開〉 

 火曜日から金曜日、土曜日(第1週、3週、5週)10:00~17:00
  無料
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 昭和46年まで府庁本館として使われていて、現在も執務室として使用されている。現役の官公庁舎で、創建時の姿をとどめているものとしては、国内で最古の建物である。 

 【京都ハリストス正教会 生神女(しょうしんじょ)福音聖堂】

 (京都市中京区柳馬場通)

 ギリシャ正教の西日本における布教活動の拠点として、1901(明治34)年に着工し、1903(明治36)年に完成した。

 最古級の本格的ロシア・ビザンチン様式による正教会の聖堂。

 堂内に三段で構成される帝政ロシア時代のイコノスタシス【イコンによる間仕切り)がある。
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 設計は京都府庁舎を手がけた松室重光。
 
 1901(明治34)年、生神女福音聖堂が建設される
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 玄関、啓蒙所、聖所、至聖所が一直線に並んで、聖所を中心にして、平面的に教会全体が十字架の形をしている。

 建設当時は、周りには建物もなく、広々とした敷地に建てられたと思われるが、現在はマンションや民家に周囲をすっかり取り囲まれてしまっている

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 玄関上に高さ22mの鐘楼がそびえる。
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 【京都国立博物館】

 (東山区茶屋町527)

 宮廷建築家の片山東熊の設計によるレンガ造り平屋建て。片山は赤坂離宮、奈良国立博物館本館などの設計をした。

 1892(明治25)年6月、着工し、1895(明治28)年10月に竣工した。開館は1897(明治30)年。
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 堂々とした構えを見せる国立博物館の本館の全景。フレンチルネサンス様式。大小11の展示室から成る。

 耐震改修計画のため、当分の間、閉館中。
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 こちらが正門である

 正門を出て、あらためて本館を眺める。それにしてもこの正門の見事さも素晴らしい。しばし、この場で見入ってしまった。

 海北友松展は三十三間堂の前にある脇の通用門から入場して、通用門から出るようになっていた。
 この正門からも出ることができるのだが、多くの人々は通用門へと帰っていくので、この正門の美しさに気づかないのは、とてももったいないことだ。


 

   
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# by rockyj | 2017-05-28 10:07 | Comments(0)  

三重の山、迷岳(まよいだけ)

  迷岳で、本当に迷ってしまった‼  
 2017. 5.18(木)晴れ

 迷岳は三重県の飯高町と大台町との境にある山で、高見山地の山では、高見山よりも高く、1309,1mある。山頂に二等三角点がある。山頂での視界はあまりよくないようだ。

 どんな山かと、いつものように登山者のブログをネットで見る。

 登山のコースは2つあり、一般的には温泉施設のある「スメール」の先の橋の手前の道に入り、あとは林道を経て、ひたすら登っていく。7時間半ほどの行程だという。

 今回のシュミネの社長の計画は、スメールからさらに林道を車で登っていき、4,5台ほど停められる行き止まりに駐車して、唐谷川に沿って登山道に入っていく。

 6:35 ほぼ時間通りにワゴン車が迎えに来た。今回は同じ町内会の女性も一緒に乗り込んだ。先日、カトラ谷の花を見に行った方だ。

 「スメール」の建物を左に眺めながら、車は林道を登っていく。あちこちに落石がころがり、あまり車が走っている道ではないようで、荒れている。

 同乗者たちも、「大丈夫かな?」と心配気味だった。

 9:40 20分ほどでようやく行き止まりの車が4,5台停められる場所に着く。やれやれと一安心だった。
 しかし、この後に再び、不安になるとは・・・・。

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9:52 駐車場から遠くの山並みを眺める
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9:53 登山道に入っていく一行(今回は社長を入れて10名)
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 11:28 唐谷川にはいくつもの滝が現れて、美しい

唐谷川の上流まで登ってきたところで、社長が「どうも道が違うようだ」と言う。目印のテープを捜して下ると、対岸の木にテープが巻いてあったのを私が見つけた。そこで、川を渡ってそちらの道を登っていくが、山の斜面を登っていくと、道が無くなった。

 どうも山仕事で木こりの使う道だった。もとの川を渡ったところまで引き返して、再びルートを探すと、川の手前の木に「登山」と書かれた古ーいビニール・テープがあるのを女性が見つけて、川を再び渡って、山の斜面に取りつく。テープが巻いてあるといいながら、道の無い急な斜面を先導して登っていく元気な女性だ。急斜面なので、両手と両足を使いながら、ひたすら登っていく。今までの登山で、このような道の無い斜面を登っていった覚えは無かったと思う。

 ようやく斜面を登りつめて、最初の尾根に出て、ここで休憩する。女性の方から甘いものの差入れがあった。
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 元気を出して、さらに尾根道を登っていく 
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 この後、平坦な場所に出て、倒木があるところで、昼食をとる。今回はコンビニで購入したいなり寿司と巻き寿司の弁当で、私の好物だ。食後にコーヒーを飲みながら、持ってきたヨモギ餅をおいしくいただいた。甘いものは、これからのエネルギー源になるだろう
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 12:38 7時間半かかる一般のルートとの合流地点の尾根に着く
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 シャクナゲの咲く尾根道をいく

 この後、ひとりの女性がしんどいと言って、ザックを枕にして、あおむけで寝る事態となる。
 この方は、低血圧の症状があり、先ほどの急斜面での登りがこたえたのだろう。

 その後も2回ほど、横になり、そのつど、一行は停滞する。結局、女性はそこにとどまって、山頂は踏めなかった。
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 13:56 迷い岳の山頂に着く。お疲れさまでした‼予定よりも1時間、余計にかかってしまったと思われる
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 山頂の風景
 手前に2等三角点が見える
 
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 私の知り合いの方々と記念撮影をさせていただく

 途中にひとりの女性を残してきているので、さっさと下山することになった。

 下山は、登りで使えなかった「唐谷道」を下っていく
 これも木こりの道で、細い道が下へ下へと、ジグザグに続く
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右側は、最上部から土砂が樹木とともに崩落している危険な場所だったので、 急いで通り抜けていく
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 本当は、このピンクのテープに従って、右手に下りて川を渡っていくべきでしたね
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 目印として、ここに大きな岩があり、以前には木こりの小屋があったとみえて、トタン板が手前には散乱している
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 この花の名前は?
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 唐谷川を再び渡渉していく女性たちが見える
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 美しい滝を眺めながら、下っていく
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 15:43 これも美しい滝だ
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 15:44 再び、駐車場に帰ってきた。道を探してロスした時間も含めて、往復およそ6時間かかったことになる。

 案内する社長も、久しぶりの迷岳の登山で、地図は持っていたが、前に登った時の記憶が薄れていたようで、道に迷ってしまった。

 参加された皆さん、「迷岳で道に迷ってしまう」という貴重な経験をさせていただき、思い出に残せたことを感謝しましょう‼今日の出来事は、これからの登山にきっと生かされます‼





 
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# by rockyj | 2017-05-22 10:42 | Comments(1)  

金剛山に登る Part.3

  再び、カトラ谷を行く

 2017.5.15(晴れ)

 地元の山仲間の女性2人とカトラ谷を行く。

 さわやかトイレの駐車場の管理人は不在だった。準備運動をしてから、9時から歩き始める。
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 ゲート手前を右に入った林道の横に咲いていた羅生門カズラの花
 1週間前には見なかった花だ
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 フタリシズカ

 カトラ谷の手前で道に迷った夫婦と一緒になる。大阪市内から車で来たそうだが、20年ぶりの金剛登山で、豆腐屋の右手に行く千早本道に行かずに、左手に来てしまったのだという。

 せっかくなので、一緒にカトラ谷の花を見に行きましょうと案内していく。奥方は荒れた道に往生して、息を弾ませている。登山は久しぶりの様子だった。
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 左手が崖になっている危ない場所に、大きな花びらの花が咲いている
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 名前が分からない
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 クリンソウが咲く谷を見に行くと、これから咲き始める様子だった。ここは斜面で、とにかく足場が悪く、注意して歩く
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 クリンソウの葉は大きい
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 ニリンソウもまだ咲いている
 1週間前には、一輪だけだったが、今日は二輪そろっている
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 10:20 休憩の後、ご夫婦をヤマシャクヤクが咲くところに案内する
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 1週間前にはつぼみや咲き始めの状態だったが、今日は見事に咲いている
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 この後、急な階段が続くところを我慢して、7分程で山頂に飛び出した

山頂の広場で昼食をとっていたら、先ほどのご夫婦が来て、「有難うございました」と礼を述べて下さった。20年ぶりに金剛山に来て、クリンソウ、ニリンソウ、ヤマシャクヤクと3つも花を楽しむことができて、よかったのではないだろうか。いい思い出にしてくださいな。
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 転法輪寺の境内に咲く八重桜
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 下山のタカハタ道で見かけたチゴユリ
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# by rockyj | 2017-05-19 11:26 | Comments(1)  

5月の金剛山 Part.2

   カトラ谷をゆく 
 2017. 5.8(月)晴

 懐かしい方から、登山のお誘いがあり、車で金剛山に向かう。

 待ち合せ場所のさわやかトイレがある駐車場に車を入れる.平日だというのに結構、車が入っている。

 今日は、カトラ谷を登っていくことになっている。

 9:00 懐かしい山友に久しぶりに再会する。10年ぶりだろうか。シュミネのツアーで、北岳に登山したとき以来の出会いとなった。元気そうだが、お互いにそれなりに年輪を重ねてきたことが分かる。

 カトラ谷を歩くのは3年ぶりだろうか。豆腐屋があるところで、階段道の登山本道は右手に行くが、私たちは左手の林道を行く。

 鉄のゲートがあるところで、いつものように右手の林道に入っていき、千早赤坂村の上水道施設の前を抜けていき、川を渡ると、すぐに山道を登り、いったんえん堤に下りる。ここには簡単なハシゴが以前にはかかっていたのだが、それが今はなく、一本の棒だけが立てかけられている。途中に足を掛けるようになっていたので、それを利用して下りた。前は両側から草木が迫っていたのだが、今はきれいに道が整備されて、2mほどの広い道に生まれ変わっていたので、驚いた。

 カトラ谷に入るところで、休憩する。汗を早くもかいたので、一枚長袖シャツを脱ぎ、チョコを食べる。
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 9:44 小さな滝が出迎える
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 さらに登っていくと、今度は細くて長い滝がある
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 9:58 前の日にネットでカトラ谷に登山した方のブログを見ていたので、危険な崖のところに倒木が横たわっていたことを知っていた。連休中はここで大渋滞となっていたそうだ。

 乗り越えることはできないので、ザックを先に通してから、くぐり抜けていく。左側は30mほどの崖になっているので、とても危ないところだ。
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 スミレではないと思われる花
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 ニリンソウが一面に咲いているところにきた。登山道を挟んで、右も左もニリンソウの花が咲き乱れている。いつもながらの素晴らしい眺めだ。
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 ニリンソウは初めに1輪の花が咲き、あとからもう1輪の花が咲きだす。今は一輪だけが咲いてきている。
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 下山してきた方に山芍薬(やましゃくやく)の場所を教えてあげようと、先導して谷の反対側へ登っていくと、まだつぼみの状態が多いが、咲きかけている花もいくつかあり、喜んでもらえました!

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 金剛山に自生するヤマシャクヤクの可憐な花
 直径は5cmほどだろうか
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 大きく花びらを広げているのもあり、今日はいい登山になったと喜び合いました!
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 11:52 最後の長い階段を登り終えて、山頂に出てきました
 ここで記念写真を若い男性に撮影していただき、そのカップルの写真を撮らせていただく
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 山頂の広場に咲く桜
 葉が出てきているが、花弁は薄緑色だという
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 白い花びらに見えましたが・・・
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錬成会の掲示板の近くに咲く八重桜
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 赤い花びらが混じる椿の花
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 下山はタカハタ道を下っていくと、すぐに六地蔵に出会う
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 花は落ち葉の下に隠れている
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 山スミレ
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 あちこちにきれいに山スミレが咲いていて、目を奪われます!
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 これはマムシ草
 マムシのような肌が気持ち悪い
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 ヤマブキ
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 13:31 水音が聞こえて来て、やがて左手に滝が見えてきた
 二段になって流れる腰折れの滝
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 惜しいことに、滝つぼの手前に大きな倒木が横たわっていて、滝つぼを入れた撮影ができない。残念です。しかし、大きな倒木なので、木の根っこも大きいし、取り除くのは大変な作業になるねと、同行の方と話したことだ。
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 最後に撮影した花の名前を調べなくては・・・

 14:00 私が停めた駐車場の前で解散。今日はニリンソウに始まり、ヤマシャクヤク、そして桜、椿など、いろいろな花と出会った一日でした‼次は、大和葛城山のつつじを見に行きましょうと約束しました。さて、つつじはいつ満開となるのかな?

 お疲れさまでした。

 

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# by rockyj | 2017-05-11 10:41 | Comments(2)  

5月の金剛山

  錬成会のさくら祭 
 2017. 5.3(祝)

 金剛錬成会に10年ほど加入している。金剛山に登山のつど、山頂にある捺印所でスタンプを押してもらう。

 5月3日はさくら祭があり、100回ごとの表彰式が行われる。葛木神社では、安全祈願祭も行われている。

 この日は登山する会員が多いので、千早赤阪村を避けて、水越峠に向かった。

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 河南町青崩(あおげ)の先にある旧道に入ると、路肩にはずらりと駐車の列が見えた。奥にある駐車場はとっくに満車だと思い、路肩に停める。

 10分歩くと、水越峠のゲート前に着く。

 準備運動をしてから、ダイトレコースを歩き始める。ヤマザクラがまだ咲いている。

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 ニリンソウ

 「金剛の水」の休憩所で、ペットボトルに給水する。ここで先客がいたので話しかけると、下山の途中だという。沢の中を行くモミジ谷をあがっていったというので、道の状況を尋ねると、倒木があったリしたが、何とか行けたという。しかし、下山には使わない方がいいですとも。礼を述べて、歩き始めた。
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 9:11 林道から左の橋を渡って、ダイトレコースに入る。ここから本格的な登山道だ。
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 9:30 大和三山を望む休憩ポイントで一服する。風が心地よい。チョコを食べる。
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 このルートは、ひたすら登るのでなく、途中には平坦なところもあるので、あまり疲れを感じない。
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 葛城山が見えるポイントで。
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 カタバミ
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10:21 山頂近くの鳥のえさ場にそびえるブナの見事な枝ぶり
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  《カタクリの花が咲いている!》
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 右手は50mほどの崖のところを越えて、葛木神社の裏手に出ると、そこにカタクリが群生して咲いていた!!感動した。
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10:31 転法輪寺に詣でる
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 弁当の配布を待つ会員の長い列

 受付でまず平成29年度の年会費を払う。今年から千円UPして、6000円となっていた。
弁当の引換券ももらう。行列には並ばずに。広場で座るベンチを確保して待つと、10;55から配布が始まった。20分ほどで行列が無くなったので、弁当をもらいに行く
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 本日の支給された弁当
 魚があるが、肉はなく、お世辞にもいい弁当とは言い難い。
 隣に座って食べていた男性も「年々、弁当の質が落ちている。前は髙島屋の弁当もあったけど」とぼやいていましたが、全く同感だった。年会費も上げたことだし、秋のもみじ祭りでは、少しはいい弁当を出してくださいよ。

 食後に弁当業者に尋ねると、今回は1700食運んできたが、昨年より200食減ったとのことだった。
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 広場で弁当を広げて、表彰式を待つ会員たち

 この後、サッサと下山を始める。

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 太尾道の名前は、出口にある青いバケツに書かれています
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 水越トンネルが見える
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# by rockyj | 2017-05-09 13:55 | Comments(0)  

京都へ

  『海北友松』展  
 2017. 4.22(土)
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 京都国立博物館で開催されている「海北友松」展を観てきた。「海北 友松」は「かいほうゆうしょう」と読む。武家に生まれ、信長や秀吉が活躍した戦国の世、桃山時代を生きた画家だ。

 京都国立博物館は、1897(明治30)年に開館して、今年は開館120周年を迎えるという。
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 海北友松、今回の展覧会についての情報で、初めてその名前を知った。狩野永徳、長谷川等伯など同時代の画家の名前は教科書にも登場するほど、よく知られているが、海北友松とはどういう人物だったのだろうか。

 展覧会で入手したパンフから、この日本画家の一生を紹介してみる。

 (いつ、どこで生まれたか)
 
 天文2(1533)年、海北善右衛門綱親の三男(もしくは五男)として、近江に生まれる。
 綱親(つなちか)は近江の戦国大名・浅井(あざい)家に仕え、「家中第一の剛の者」とうたわれたが、その父や兄を信長との戦で次々と失うなか、京都の東福寺に有髪の子童として入る。武門の再興を夢見ながら、還俗して(仏門から一般人にもどり)狩野派の門をたたき、画の道に進んだと伝えられている。

 
 狩野元信、狩野永徳らに師事したとする説あり。

 【60代から絵師として頭角を現す)



 「誤落芸家」(誤りて芸家に落つ)

 「武士の家に生まれた私だが、誤って芸家(絵師)に身を落としてしまった。あわよくば時運に乗じて武門再興を図りたい」と、友松はかたっていたそうだ。

 武門再興はかなわなかったが、DNAに刻まれた武士の気概は、確実に彼の描く画に投影され、名だたる寺院や公家の邸宅に筆をふるう。

 明智光秀の重臣・斎藤利三(としみつ)〈春日局の父〉と友松は心を通わせる友であった。利三が本能寺の変の咎(とが)で、秀吉に処刑されたとき、友松は信如堂の東陽坊長盛とともに利三の遺骸を奪って、信如堂に手厚く葬ったといわれる。
 (晴れ舞台!建仁寺に描く)

 〇安国寺 恵瓊(えけい)が建仁寺の大方丈を造営し、友松がその障壁画を描く

 建仁寺は、別名「友松寺」とあだ名されるほどの友松画の宝庫で、数多くの障壁画や屏風絵、掛け軸が伝わっている。

 (主な作品)
 《建仁寺》
 5つの部屋に52面の障壁画(ふすまに描いた絵)現在は50面

 65歳から67歳のころに描いている。
 ◎ 雲龍図 

(8幅)慶長4(1599)年、67歳で描く
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 威風堂々とした龍、人面のような龍、不気味な龍、友松はさまざまな龍を描き、朝鮮にまで「龍の名手」としての名声をとどろかせた。

 この作品は建仁寺大方丈の「礼の間」を飾っていた超大作(現在は掛け軸装)、かつて大方丈に足を踏み入れた者はさぞ驚いたことだろう。

 横長の画面を生かした、きわめてダイナミックな構成

 龍の顔からは、いかにも神獣らしい凄みと不気味さが伝わってくる。 
 ◎花鳥図(8幅のうち3幅を展示)
 ◎竹林七賢図(「大方丈」16幅のうち8幅、4幅ずつ前期・後期で展示替え)
 ◎山水図(8幅のうち3幅)
 ◎琴棋書画図(10幅のうち6幅)

 《アメリカ ネルソン・アトキンズ美術館》

 ◎月下渓流図屏風(びょうぶ)

  友松の到達点ー最晩年の最高傑作、60年ぶりの里帰り

 友松の水墨画は、ほとばしる気迫を全面に押し出した画風から、次第に詩情豊かで静謐(せいひつ)な画風へと変化していく。

 そうした好例にあたるこの作品は、昭和33年にアメリカの美術館が所蔵して以来、戻ることがなかった幻の最高傑作である。初めての里帰り展示がここに実現した!

 23日の「日曜美術館」(NHK)では、この作品を取り上げている。
 番組に出演した京都国立博物館の山本学芸部長は、この作品について、次のように解説した。

 「(描かれた情景は)中国の風景とは、だれも思わない。日本的な風景だ。友松が最後にたどりついたところは、日本的水墨画を完成させた。

 すべてのものをそぎ取って、要るものだけをここに置いていった。どんどん、どんどん極限に迫っていった。本当に澄みきった気持ちが託されている。」

 「日曜美術館」は再放送がある。

 
 

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# by rockyj | 2017-04-24 11:59 | Comments(2)  

別府の温泉だよ Part.3

  別府の温泉は日本一‼ 

  別府は8つの温泉郷があり、湧き出す湯の量は日本一だという。
 
 草津温泉の湯畑もスケールが大きく、圧倒されるが、源泉はひとつだ。それに比べると、別府では至る所から温泉が湧き出ていて、フェリーが別府に近づくと、街のあちこちから白い湯煙が昇っているのを見ることができる。源泉は3千あるという。

 別府の温泉の不思議さを体験させようと、地獄巡りに小学生の姉弟を連れていく。
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 8:40 亀の井バスの北浜バスセンターから、観光バスに乗り込む。
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 〔海地獄〕

 池の青色は、温泉中の成分である硫酸鉄が溶けているため。

 泉質:含食塩酸性泉
 深度:泉脈までの深さは、200m
 温度:98℃

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 早咲きの桜
 〔鬼石坊主地獄〕

 灰色の熱泥が沸騰する様子が、坊主頭に似ているところから名づけられている。明治時代に「新坊主地獄」として営業してきたが、途中で閉鎖した。2002(平成14)年12月16日にリニューアルオープンしている。

 泉質:ナトリウム、一塩化物泉
 温度:99℃

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 〔かまど地獄〕 
 90℃の温泉が噴気とともに湧き出している。
 
 煙の実験は、たばこの煙の粒子を核として、周りに水蒸気がくっつき、煙が見えるようになる。

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 〔白池地獄〕 
 和風庭園にある池は、青みをおびた白色。噴出したときには透明な湯が、温度と圧力の低下で青白く変化する。

 泉質:含ホウ酸食塩泉
 温度:105℃

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 〔鬼山地獄〕

 別名を「ワニ地獄」という。大正12年に温泉熱でのワニの飼育を日本で初めて行う。現在、70頭を飼育する。

 泉質:ナトリウム、一塩化物泉
 温度:99,1度
 
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 〔血ノ池地獄〕

 「赤い熱泥の池」

 地下の高温、高圧化で自然に化学反応を起こして生じた酸化鉄、酸化マグネシウム等を含んだ赤い熱泥が地層から噴出し、堆積するため、池一面が赤く染まる。

 面積:1,300㎡(840畳)
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 〔竜巻地獄〕

 別府市の天然記念物にも指定される間欠泉
 豪快に熱湯と噴気が噴き上がる

 泉質:含食塩酸性泉
 温度:105℃

 ※地獄の説明は、別府市地獄巡り組合のHPより引用させていただいた

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亀の井バスの創業者の顔も入れてある
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 2時間30分の見学を終えて、北浜バスセンターへ戻ってきた。

 娘がスマホで調べてくれた有名な店。店の中には順番待ちのお客が十数名いた。
 やがて、別棟の2階に案内され、広い座敷で豪華な天丼をいただく。
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# by rockyj | 2017-04-21 10:34 | Comments(0)  

別府の温泉だよ Part. 2

   竹瓦温泉 
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 竹瓦温泉は明治12(1879)年に創設された。創業138年の歴史のある温泉で、13ある市営温泉の一つ。

 地元の漁師が海岸近くに湧き出していた温泉を楽しむために、簡素な小屋を建てた。はじめは竹屋根葺きの浴場で、その後、改築されたものが瓦葺きであったため、竹瓦温泉の名前がついたと伝えられている。

 現在の建物は、昭和13(1938)年に建てられた。正面は唐破風造(からはふつくり)の豪華な屋根をもつ。

2階は格子天井の90畳の大広間になっていて、温泉を楽しんだ客の休憩場所だったが、今は公民館として使われている。

 ホテルが別府タワーの近くで,竹瓦温泉まで歩いて10分程で行けるので、6時前に起き出して、タオルとカメラ、小銭をポケットに入れて一人で出かけた。

 温泉に着くと、入口で待つ人々が見える。6時30分から開く。

 
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 受付で料金の100円を払う
 別府市の市営温泉はすべて100円だ。地元の人は、60円ほどだという。
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 男湯の暖簾をくぐると脱衣場がある。カメラを持っていたので、貴重品ボックスに入れる。脱いだ服は、棚に入れておく
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 6:36 脱衣場から地下の浴場をすぐに撮影させていただく。 浴場は楕円形をしている。温泉には二人の地元の人が早くも入っているようだ。湯の煙で顔が見えないのがありがたい。
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 地下にある浴場へ降りていく階段
 湯を汲み出す洗面器といすだけが備えられていて、石鹸やシャンプーなどは置いてない。受付でそれらを販売している。地元の人は、自分の洗面器に一式を入れて持ち込んでいる。

 かけ湯をして、湯に入ると、少し熱めの温度だった。千葉からきたという客が孫娘とともに入ってきた。地元の人と、あれこれと話していた。

 外に出て、私は洗面器で湯を汲んで、自分のタオルで、体をごしごしと洗う。風呂の縁に腰掛けた人を、地元の人が「そこは座ったらあかん」と注意する。風呂の縁には、頭を置くからだという。なるほどね。

6:55 風呂から上がって、最後にもう一度、浴場を撮影する。入浴客が多くなっていた。
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 天井の高いロビーは、昭和初期のイメージを残していて、湯上がりにくつろぐスペースとなっている。
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 砂湯(1030円)もある
 浴衣を着て砂の上に横たわると、砂かけさんが温泉で暖められた砂をかけてくれる
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 2004(平成16)年6月9日に登録有形文化財
 2009(平成21)年2月6日に近代化産業遺産に指定されている

 なお、NHKの人気番組「ドキュメント72」の2017年2月5日の放送でこの温泉を取り上げている。

 私はこの番組は予約録画をしていて、毎回、視聴している。72時間、つまり3日間、同じ場所にカメラと取材陣が張り付いて、そこに来た人々にインタビューをして、人生模様を描き出すユニークな番組だ。

 30分番組なので、あっという間に終わってしまうのだが、毎回、見ていて楽しむことができる。






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# by rockyj | 2017-04-09 12:00 | Comments(0)