3月の歩こう会

   多治速比売神社に詣でる 
 2017.3.18(土)快晴

 「たじはやひめじんじゃ」と読むのだが、パソコンではすぐには漢字を打ち出すことが出来ない。
 退職公務員連盟支部の年度最後の「歩こう会」は、泉北ニュータウンの宮山台に鎮座する由緒のある神社に詣でる。

 今回は私の近所に住むKさんを誘っていったので、都合、4名だった。

 9:30 泉ヶ丘駅までバスを利用し、そこから歩き始めた。

 この神社を訪ねるのは私は初めてなので、歩くコースは他の方にお願いした。はじめに竹城台団地の住宅の中を通り、遊歩道を下っていくと、竹城台小学校の前に出てきた。ここで地図を確認してから、小学校の正門を通り過ぎて下っていくと交差点に出る。

 10:05 大きい通りを右手に歩いていくと、「荒山(こうぜん)公園」がある。とても広い公園だ。
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 入口から眺める
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 大きなヤシの木が植わっている
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 運動公園の横を行くと、右手に大きな新池がある
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 池のそばには5年前には無かったという大きな遊具があり、子どもたちが遊んでいる
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 風車もあるが、動いてはいなかった
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 紅梅
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 本殿の見学を予約しているので、梅林の見学は、後にして神社へと向かう
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 神社の鳥井が下に見える
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 神社の参道の石段が続く
 二百段はあるだろうか
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  《多治速比売神社 拝殿》
 
  和泉の国大鳥郡の延喜式内社二十四座のひとつで、西暦580年頃の創建と伝わる。明治初年までは総福寺と併存した神宮寺だったが、神仏分離で神社のみとなった。

 本殿は室町時代の建造物で、天文年間(1539~1541)に再建されていることが棟札で確認されていて、国の重要文化財に指定されている。

 主祭神は多治速比売命(たじはやひめのみこと)で、女神として厄除け・安座・縁結びの神として崇敬が篤い。たじはやひめのみことは日本武尊(ヤマトタケルのみこと)の妻である。


拝殿に詣でる
 このあと、社務所で芳名帳に記帳し、本殿に案内していただく
 神社のHPを読んだとき、本殿の見学は事前の予約制とあったので、電話で申し込んでいた。
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 本殿の構成図
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 神社の本殿(あらかじめ、許可をいただいて撮影した)

 三間社入母屋造(いりもやつくり)
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 正面に千鳥破風(ちどりはふ)があり、大きな向拝がある
 
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 向拝柱の上部中央のかえる股には龍・雲・浪
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 向拝の「たばさみ」は透かし彫りで、向かって右は右面に芭蕉の葉にカマキリがとまっている。この図柄はとても珍しいものという
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 向かって左は、右面に海藻と貝類
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 神官は30分近く、詳しい説明をされ、質問にも丁寧に答えて下さった。
 本殿は国の重要文化財なので、檜皮葺の葺き替えなど、修理に多くの費用がかかることを話された。雷の被害を防ぐために、避雷針も二つ、取り付けられている。ありがとうございました!
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 拝殿は鉄筋コンクリート造

 昭和38年に泉北ニュータウンの造成計画に伴って、拝殿、参集殿の大改修を行っている
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 狛犬は江戸時代の天保12年の作
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 石燈篭も江戸時代の寶永年間の作
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 この後、梅林を見て回る

 神社所有地の大部分はニュータウンの住宅や公園用地として府に買収され、神社の周辺は堺市の公園として、「荒山(こうぜん)公園」と名付けられて、1400本の梅が植えられているという。
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 《たじはやひめのみことの神話》
 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がえぞ征伐で東征に赴いたとき、相模から上総(現在の千葉県)に船で渡ろうとしたら、海が荒れて前に船が進まなかった。

 この時、姫が荒れ狂う海を押し分けて入水すると、たちまち海が穏やかになり、日本武尊の一行は無事に上総に上陸することが出きた。

 のちに日本武尊の一行が碓日坂(うすひのさか)、今の碓氷峠まで帰り着いたときに、日本武尊が東南の方を望んで「吾嬬(あずま)はや」(吾が妻は、ああ)と三度嘆いたので、碓日嶺より東を「吾嬬(あずま)」というようになり、今では東と書いて「あずま」とも読む。

 姫が入水した場所を「走り水」といい、現在の東京湾の入口の浦賀水道で、観音崎燈台が立つ。




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# by rockyj | 2017-03-20 15:56 | Comments(2)  

遠田潤子の本の紹介

  『雪の鉄樹』
 2017.3.16
   この本は3年前に出版された本なので、新刊本ばかりを図書館にリクエスト・予約している自分としては、なぜこの本をリクエストしたのかがよくわからない。

 よく本を紹介してくれる知人に尋ねたが、「私も偶然に同じ本を読んだところで、これから紹介しようとしたところだった」と随分と驚いていた。

 恐らくは、文庫本として新たに出版されていることから、図書館で読んだ新聞の広告から見つけた本だろう。


  《ストーリー》 

  祖父と父が日々、女を連れ込む、近所では『たらしの家」と呼ばれている家で育った主人公の雅雪は、高卒後、祖父のもとで庭師の修行を始める。

 その傍ら、両親のいない少年・遼平の面倒も見てきた。それは、かつて自分の愛した少女が犯した罪をつぐなうことだった。13年間、雅雪はひたすら償いをしながら、少女の出所を待っていた。

 《小説の舞台は、よく知っている場所だった》   

 『ここ大美野は、昭和初期に開発が始まった高級住宅地だ。パリの都市計画を模した造りで、住宅地の中心には、噴水のあるロータリーがある。

 一方通行のロータリーからは、道が八本放射状に広がって、その道沿いにゆったりとした敷地の邸宅が並んでいた。」

 大美野(おおみの)は、南海・高野線の北野田駅から西に下ったところにある。雅雪が出所してくる舞子と住むつもりのアパート「ガーデンハイツ」は、狭山池のそばにある。昔、さやま遊園のあったあたりだ。

 「住宅地を抜け、西除川を越える。川自体は細く、水量も少ないが、先には狭山池があった。日本最古の灌漑用貯水池で、博物館も建っている.池のぐるりは遊歩道が整備され、桜の名所になっていた。」

 狭山池は奈良時代の僧、行基が改修したことで知られている。平成になってから大阪府がダム化の改修工事を行い、その際に出土した奈良から江戸時代までの貯水・排水設備を安藤忠雄氏が設計した府立狭山池博物館で展示している。

 鉄樹とは、蘇鉄(ソテツ)のこと。鉄を好む木だという。

 《読後の感想》




 小説の半分まで読んでも、いったい主人公は何のために少年の面倒を見ているのかが分からない。
 はじめ、少年を育てていた祖母からは、さげすまれ、仏壇の前で手を合わせることも許されなかった。いつかは遼平に真実を打ち明けようと決めているのだが、なかなか言い出せない。読者も雅雪は、いったいどんな悪事をしたのだろうかと疑心暗鬼の状態で、読み進んでいくことになる。

 短気な性格の人は、半分まで読んだところで、この小説を投げ出してしまうのではないだろうか。
 そして、遼平は悪友から主人公の秘密を聞かされてしまうという最悪の結果となる。

 雅雪が出所を待っている舞子は、車の運転中に脇道からベビーカーを押しながら出てきた若い夫婦を轢いてしまった。その夫婦こそ、遼平の両親だった。

 しかし、ほかの読者も指摘しているのだが、「業務上過失致死」で13年という刑期は、いくら何でも長過ぎる。当時は5年以下の刑期だったということだ。

 もう一つ,この小説の弱いところがある。それはラストのところで、和歌山刑務所(ここは女性のみ収容している)から満期で出所してくる舞子を雅雪がどうしても迎えに行けなくなる状況になり、遼平を代わりに迎えに行かせる場面である。

 小説をきちんと読んだ者なら、舞子が雅雪の面会を一度も許さず、手紙も受け取ろうとしなかったことを覚えているはずだ。なぜ、舞子は雅雪との接触を拒絶しているのか。そのことは、全く語られていないから、読者は舞子の気持ちを知ることができない。舞子の心の内を明らかにしていけば、この小説は深みが出てきただろう。

 仮に雅雪が刑務所前で出迎えても、舞子が話をすることはないのではないだろうか。雅雪が代わりに行かせたのは、自分がひき殺した夫婦の子供だと舞子が知った時、彼女はどういう態度をとるのだろうか。小説では遼平と舞子はファミレスで4時間、語り合ったとだけしか書かれていない。

 しかし、私は舞子を出迎えるのは、雅雪しかあり得ないと考える。13年間、出所を待ち続けた雅雪が舞子とどういう話をするかを読みたかった。舞子は雅雪にどう語りかけるのか、聞きたかった。そこから、ラストの部分が大きく読者の心に感動をもたらしたのではないかと思う。

 《遠田潤子》
 

 1966年、大阪府生まれ。関西大学文学部独逸文学科卒。

 2009年、「月桃夜」で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、デビュー。

 今回の小説の舞台となった地域について、詳しく書いていることから、堺市南部に在住ではないかと推察する。



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# by rockyj | 2017-03-16 14:10 | Comments(1)  

三郎ヶ岳

シュミネの日帰り登山
 2017.3.9(金)
 

6時30分、シュミネの神川社長が運転するバンが自宅の近くの道路に到着する。この後、二か所で客を乗せていく。今日は客が9名で満員。男女比は半々。途中、腹痛を起こした女性のため、針インターでトイレ休憩。途中のコンビニで買ったホットコーヒーのせいかと話していた。登山の前には、ホットコーヒーはやめた方がいいです。そういう私も、朝食後には小さなカップでコーヒーを飲んできたのだけれど。
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 8:35 仏隆寺の駐車場に到着。有名な千本桜の巨木がそびえる。樹齢はおよそ900年という。ヤマザクラとエドヒガンの雑種で、モチヅキザクラという品種だそうだ。4月中旬から咲き始める。奈良県で最古の桜で、県指定の天然記念物。
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ミツマタの花は、まだ開いていなかった
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 9:20 小峠から、いよいよ登山道を登っていく

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 途中には、何かいわれのありそうな石が鎮座している
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 この後、急な斜面の道を登りつめていく
 9:56 高城山(たかぎやま)に到着。
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 山頂の様子。手前の小高いところに東屋があり、そこで休憩する
 尾根の道を行くと、馬の背のところを通過していく。危ない岩場では社長が女性たちをフォローする。男性は各自で進む。
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 三郎ヶ岳めざして、最後の急登へ。
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 10:54 三郎ヶ岳(879m)に着く
 粉雪が降る中で、カップラーメン(とんこつ味)にお湯を注いで、3分待つ。半数のメンバーがラーメン派だった。やはり、寒い時にはカップラーメンですよ。
 あと、食後のコーヒーと、よもぎのあんころ餅をいただく
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 社長に行きとは違うルートで下山することを提案し、その通りになった。

 11:20 山頂から南側に下るルートは、すぐに鎖を張ってある急な下りの道で、滑らないように気を付けて下っていく
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 「石仏」の標識があり、左手の高い崖のところに「摩崖仏」があったので、少し登っていって撮影に成功する

 杉の植林を下っていくと、斜面から大きな根っこごと倒れた木があちこちにある
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 12:05 伊勢本街道に出る
 古人はお伊勢参りに、この街道を通って行ったのだろう
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 12:27 集落に出てきた
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 道標がある
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 登山口の小峠にやってきた。これで一周したことになる。
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 藁ぶきの家は、珍しい

 13:10 仏隆寺の駐車場に帰ってくると、ザックを置いて、石段を登って本堂の写真を撮りにいく

 今日の山行は、昼食を入れて、およそ4時間20分の行程だった。

 《仏隆寺》 
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 入口から本堂を撮影させていただく
真言宗室生寺派
  (奈良県宇陀(うだ)市榛原(はいばら)赤埴(あかばね)1684)

 平安時代の前期、嘉祥3(850)年、空海の高弟の堅恵(けんね)が創建したと伝わる古刹。

 空海が唐から持ち帰った茶を栽培したといわれ、大和茶の発祥の地。
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 仏隆寺への197段の石段
 9月中旬には階段の両側に、彼岸花が咲き乱れるという
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# by rockyj | 2017-03-11 10:28 | Comments(1)  

この本が面白い

『黒書院の六兵衛』

2017.3.3

浅田次郎の時代小説で、上下二巻に分かれていて、(上)を読み終えた。ストーリーがなかなか面白くて、次はどうなるのだろうと、ついついページをめくっていくことになる。鳥羽伏見の戦いで、幕府軍が官軍に敗れ、将軍慶喜は家来たちを大坂城に残したまま、江戸に軍艦で逃げ帰ってしまった。作品の中で、作者の浅田次郎は次のように書く。

「上様は、そうした忠義なご家来衆を戦場にうっちゃられて、さっさと江戸に逃げ帰られた」 
官軍の西郷隆盛と幕府の勝安房守(海舟)との間で話し合いがもたれて、江戸城の無血開城が決定する。官軍の江戸城への入城にあたり、物見の先手(先遣隊)として、尾張徳川家上屋敷の加倉井隼人が官軍のにわか隊長を務めることとなる。

 上野のお山には、恭順せる前(さきの)将軍家(慶喜のこと)と、抗(あらが)わんとする彰義隊とがともにいる。

 江戸城内にも幕府の家来たちが残っていて、そこに乗り込んでいく隼人たち20名の主従は、命がけである。しかし、官軍の制服を着て入城すると、官軍の威光はすばらしいものがあった。

 城を守る勝安房守は、次のように隼人に語りかける。

「御城内にとどまっておる侍のあらましは、恭順を誓うておる」

 隼人「しばらく、あらましとは聞き捨てなりませぬ」
 
 勝「実はこの西の丸御殿の中に、どうしても料簡できぬ侍がひとりだけおる」

 この料簡できぬ一人の侍、六兵衛をめぐる話が次々と展開していくのである。

  〈六兵衛とは、何者か〉

 六兵衛は、御書院番士で、旗本以上の身分である。戦時には、上様の御馬廻りに近侍する騎士であり、平時においては、御身辺の警護をする。

 無血開城が決まると、御書院番士はかたや将軍警護のお役目につき、こなた脱走していざ戦わんと気勢を上げていた。そして、六兵衛だけは御書院番の宿直(とのい)部屋で、てこでも動かなくなったのだ。

 上様もお城から出られたのに、なにゆえ彼はお城にとどまっているのだろうか。隼人にとって、また読者にとってもこれが大きな謎なのだ。

 隼人は六兵衛の屋敷に出かけて、そこで働く中間の奴(やっこ)から、奇妙な出来事を聞いた。師走の二十九日から翌朝にかけて、六兵衛の一家(夫婦と子どもたち)が入れ替わっていたという。入れ替わった六兵衛は、新年にはお城に出かけ、勤番についていた。

 六兵衛なる旗本は、旗本の株を高い金を出して買い取る「金上げ侍」だったのではないか。

 隼人たちは、六兵衛を御城から追い出そうと、策略を巡らす。官軍は入城のときに、勅使をお連れするので、お城で殺生などの事件を起こすことはならぬと話し合いで取り決めていたから、力づくで始末することはできない。最後には、安房守は偽の上意書(上様の文書)までこしらえて、六兵衛の上司に読ませたのだが、六兵衛はその場から動こうとはしなかった。

 知恵を絞った「最後の一手」は敗れた。

 二日後の勅使入城に備えて、間違いが起きては困るから、隼人は六兵衛が差している脇差を預かることにしたところ、六兵衛は素直に脇差を差し出してきた。

 さて、下巻では話はどのように展開していくのだろうか。六兵衛はなぜ江戸城内にとどまっているのだろうか。




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# by rockyj | 2017-03-03 10:19 | Comments(0)  

富田林市寺内町

 寺内町(じないまち)を歩く 
 2017.2.19
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 富田林寺内町は、永禄(1558~69)初年頃、京都の興正寺の門跡 証秀上人が、富田の荒芝地を守護大名から銭百貫文で取得し、近くの4か村の庄屋株各2名、計8名に興正寺別院の建立と屋敷、町割りなどの建設を要請したのが始まりとされている。

 町内は南北6筋、東西7町の碁盤目状の道路で整然と区画され、下水路を完備し、周囲には竹藪のある土居を巡らし、外部からの出入りは4か所に限られていた。

 早くから自治的都市の特権を得て、町政の運営には年寄役となった8名があたった。

 東高野街道、富田林街道などが交わる交通の要所で、石川流域で収穫される米、綿、菜種などの農作物と良質の水に恵まれて、南河内一の商業地として、近世以降、発展してきた。

 酒造、米屋、布屋、油屋などの商家が軒を並べていた。現在も江戸時代からの商家、町家を含めて、江戸、明治、大正の三時代が混然となった町並みがある。

 寺内町そのものが日本の優れた文化遺産として、平成9年10月、国の重要伝統的建造物群保存地区に大阪府で唯一、指定された。

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 公園にある寺内町の案内板
 碁盤の目状に町が区画されていることがよくわかる。
 北は右手となっていて、北の文字のところは、近鉄・南大阪線の富田林駅。
 南には青色で石川が描かれている。
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 寺内町の新しく設けられている道標
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 下水のマンホールのふたには、寺内町の町家がデザインされている
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 当時の下水路は、ふたがされているが、当時の橋の名前が書かれた石が残されている
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 奥谷家
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(東)奧谷家
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 壁を銅板にしていて、緑青が太陽に照らされていて美しい
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 道は真っ直ぐには通さず、少しずらしている
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 駒つなぎの石
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 これも駒つなぎの鉄の輪
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 寺内町の東側は、大きな崖になっている
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 米蔵が並ぶ越井家
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 越井家の町家も豪壮な造りだ
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 酒造をしていた町家の壁に残る酒の名前「万里の春」
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 寺内町は、石川の河岸段丘の上に造られた町。石川へ通じる山中田坂は、急な坂が続く。米や農産物を運び入れるときは、大変な作業だっただろう。
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 興正寺別院
 寺内町は、この寺を中心にして町割りが行われた
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 山門は伏見城から移築したと伝わる
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 本堂に上がって見学させていただくと、大きな襖絵が両側に並ぶ。狩野派の絵師が描いたもの。
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 興正寺別院が面する城之門筋は、日本の道百選に選ばれている(顕彰碑)
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 葛原家
 三階倉の意匠がみごとで、白壁がまた美しい
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 人々の信仰をあつめている薬師堂がある
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 薬師如来は恋文でできているという
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 石の道標には「町中くはへきせるひなわ火無用」と刻まれている。現代風にいえば、くわえたばこはだめだよということ。火事を出さないように、当時の人々は心がけています。
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旧杉山家住宅

 杉山家は寺内町が形成された当初からの旧家と伝えられ、江戸期から明治の半ばまで造り酒屋として、河内酒造業の肝煎り(きもいり)役を務め、最盛期には使用人70人を数えたといわれる。

 現存する建築は、1650年ころに建てられた土間が最も古く、1734年にほぼ現在の姿が完成した。

 南河内の往時の豊かさと文化を伝えるものとして、昭和58年に国の重要文化財の指定を受けている。
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 石上(いそのかみ)露子は、明治時代に明星派の歌人として活躍した。本名は杉山タカで、明治15年にここ杉山家で生まれた。

 





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# by rockyj | 2017-02-21 09:03 | Comments(4)  

雪の金剛山

  今年、3回目の金剛登山 
 2017. 2.16(木)

  今日は気温も上がって最高気温は13℃になるという。明日は雨になるということなので、金剛山に出かけることにした。インターネットで 「金剛山積雪情報」(雪と樹氷の掲示板)を見ると、「葛木神社で積雪30cm、霧氷あり、気温-2℃、天気曇り、アイゼン必要(am7:06)とあった。

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 念仏坂登山道横にある公衆トイレの屋根には雪が積もっている
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 9:24 林道を歩き始めていく
 左手にある最初の登山道に入っていく。積雪があるが、行けるところまでアイゼン無しで行こうと登っていく。
 尾根に出たところで、アイゼンを付けた。私のアイゼンは前と後ろにそれぞれベルトがあって、付けやすい6本爪だ。

 再び尾根に出たところで,大阪の景色を眺めた。
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 10:23 いよいよ最後の急傾斜の登りにかかる。
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文殊菩薩の岩の前で、頭を垂れた
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 登りきって、広い登山道を山頂広場へとゆく
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 雪をまとった樹々が美しく輝いている
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 葛木神社への参道の燈篭が雪に覆われている
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 いつも手を合わせている転法輪寺が雪のなかに静かに佇んでいる
 社務所でスタンプを捺印していただく
 「今日は青空に雪が映えて、とてもきれいですね」と女性があいさつをしてくれたが、本当にその通りで、見事な青空が広がっている。今日、登ってきて本当によかったと思う。
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 社務所のすぐ横の住居の屋根から、見事なつららが垂れ下がっている
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 青空をバックに記念撮影。4人連れの方に写真撮影を頼まれたので、快く2枚、撮影してあげました!
 さあ、コーヒータイムだとザックを開けたが、肝心のお湯を忘れて来ていた。仕方がないので、冷たいお茶を飲みながら、よもぎ饅頭をほうばったが、太陽が照っていて、風もなく、結構、暖かったので、よかった。
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 山頂広場の雪に覆われた樹木も美しい眺めだった
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 関西の情報番組「Ten」の方々が、1月19日に金剛山を取材で訪れていたそうで、掲示板に写真が貼ってあった。

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 金剛錬成会の会員の登山回数掲示板

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 登山の後は、がっつりとしたランチを食べて、エネルギ-を体中に満たしました!
 コロコロステーキ、チキン、白身魚のランチ。カレーは2杯、お替りした。
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 このあと、いつものように図書館に立ち寄り、予約していた本を2冊、受領。

 呉 勝浩 著『白い衝動』(17年1月24日発行)
 風見 しんご 著『さくらのとんねる~二十歳のえみる~』(16年4月5日発行)

 最後に、マッサージ屋さんに行き、体を入念にほぐしていただいた。気持ちいい!!

 こうして、久しぶりの金剛登山の一日は、無事に終わりました。


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# by rockyj | 2017-02-17 10:29 | Comments(3)  

龍馬のふるさと

  志国高知 幕末維新博 
 2017. 2.12

 「志国」と書いたが、これは「四国」の間違いではないかと思われたに違いない。しかし、今回の高知県の博覧会は、あえて「志国」とタイトルをつけて、日本という新国家を土佐の偉人たちは目指していたということを強くアピールしたかったわけだ。

 事務局の要綱を引用しておこう。

 「2017年は幕府が政権を朝廷に返上した「大政奉還」から150年、2018年は「明治維新」から150年の節目の年に当たります。

 幕末から明治維新にかけて、京や江戸から遠く離れた土佐の地にあって、坂本龍馬をはじめ、多くの偉人を輩出した高知県では、当時に思いを馳せ、彼らを育んだ時代につながる土佐の風土、文化、食、自然などを知っていただくため、2017年から2か年にわたり、「志国高知 幕末維新博」を開催します。」

 第一幕 2017年3月4日~
 第二幕 2018年春~

 ◎メイン会場 県立高知城歴史博物館(新しくオープンする)
       県立坂本龍馬記念館(17年4月から休館し、18年4月リニューアルオープンする)

 ◎サブ会場 こうち旅広場(JR高知駅前)

 ◎地域会場(計20会場)

  中岡慎太郎館(北川村)、高知城、高知市立龍馬の生まれたまち記念館、ジョン万次郎資料館(土佐清水市)他

 <高知城歴史博物館の企画展>

 「海援隊発進! ~坂本龍馬の駆け抜けた時代~」

  展示 17年3月4日~4月17日

慶応3(1867)年4月に結成された海援隊の150周年を記念し、坂本龍馬の生涯と海援隊にゆかりの資料を展示する。
観覧料 700円 、高知城とのセット券 890円

 (特別初公開となる展示)

「龍馬が死の直前に書いた幻の手紙が初公開!」

 ※慶応3年(1867)11月10日付け 中根雪江宛 書簡(手紙)

 今年1月13日、高知県から発表された、龍馬が暗殺される5日前に書いた書簡(手紙)であり、封紙に入ったままの状態で150年ぶりに日の目を見たもの。

 2月16日号の「週刊文春」に見開き2ページにわたって、龍馬が死の直前に書いた幻の手紙が写真入りで紹介されている。記事によると、手紙は折り目もそのままに、封紙に包まれた形で残されていた。

 封紙の表には、朱筆で「坂本先生遭難直前之書状二而(て)他見ヲ憚(はばか)ルモノ也」と書かれた付箋(ふせん)が貼られている。その指示に従って、手紙は人目に触れることなく、150年間秘匿されてきたのだ。

 「これまでの龍馬直筆の書状と照らし合せた結果、龍馬の真筆にまちがいないと判断しました。朱書の付箋については、いつ誰が付けたものか、これから検討しなければなりません」(京都国立博物館 宮川 禎一氏)。

 龍馬が新しい国家の樹立を目指して活動していたときに、京都の福井藩邸に滞在していた藩の重臣であった中根雪江あてに書いた手紙である。

 縦16cm、横は92cmあり、龍馬は「才谷 楳太郎」という偽名を書いている。

 手紙の中に、「新国家の御家計(財政)」という言葉が使われていて、中根雪江に新政府の財政担当者への出仕を懇願している。

 龍馬は筆まめで、現在約140通の直筆の手紙が確認されているが、「新国家」という言葉を使った手紙は、これが初めてであるという。




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# by rockyj | 2017-02-12 09:11 | Comments(0)  

公開録音

  リサイタル・ノヴァ 
 2017. 2. 5

  「リサイタル・ノヴァ」というのは、NHK・FMの音楽番組である。ふだんは大阪放送局のホールで収録しているそうだが、数回、大阪府下で公開録音を行っているという。

 今回、2月4日(土)に大阪狭山市の「SAYAKAホール」で公開録音をするというので、応募したら当選した。

 NHKのホームページには、次のように番組を紹介している。

「クラシック界の新星たちによるフレッシュな演奏をじっくり楽しめる番組。ミニ・リサイタルとしても飽きさせない、キラリと光る番組独自のプログラミングでお楽しみください。」

 放送は毎週日曜日の午後8時20分~8時55分(FM)。再放送は金曜日の午前9時20分から9時55分(FM)。

 35分の番組で、2回分を今回、公開録音するわけだ。

 3時から始まる。はじめにNHKの担当者が録音に当たってのお願い事をする。携帯電話の電源をオフにすること、録音中の移動をしないこと、やむを得ずトイレに行くときは、客席は暗いので注意すること、正面にマイクを立てているので、触らないこと(5mほどの高さのあるマイクだった)。地震の際の注意まで行われた。

 なお、演奏中の録音、録画は禁止となっているために、今回は画像はありません。

 司会をするのは、ピアニストでもある本田 聖嗣氏。東京芸大、パリ国立高等音楽院で学ぶ。番組では「支配人」という役目だ。

 《出演者》

  細川 泉 (ビオラ)、草 冬香(ピアノ)

 京都市立芸大卒。はじめはヴァイオリンを学ぶが、大学院在学中にビオラに転向する。ジュネーブ高等音楽院でビオラを今井信子氏に師事する。

  放送:2017年3月12日(日) 再放送:3月17日(金)

 〈曲目〉 

① 『4つの顔』から「パリジェンヌ」 (ミヨー作曲)

② ビオラ・ソナタ 第2番 ハ長調 (ロータ作曲)

③ マイ・フェイバリット・ピース(お気に入りの1曲)
  『亡き王女のためのパヴァーヌ』 (ラヴェル作曲)
 ※ラヴェルは1875年に生まれたフランスの作曲家。彼の管弦楽法は繊細、合理的であり、模範的な管弦楽法とされていて、「管弦楽の魔術師」と呼ばれる。

 ビオラは、ヴァイオリンと比べると低い音であるが、豊かな音の広がりを感じることができる。
 弦(げん)を引く時には力を入れるところと、脱力するところとがあるという。そのために、細川泉さんは、筋肉トレーニングやwalkingで体を鍛えてもいるという。

 300人収容の小ホールは、ほぼ満席だった。前から2列目の左手の席に座ったので、中央に置かれたピアノの伴奏もよく見ることができた。難しい曲ばかりだと思うのだが、ピアノ伴奏もなかなか優れていた。

  市川 えり子(フルート)、鈴木 華重子(ピアノ)

 相愛大学音楽学部管楽器専攻卒業、2010年より京都フィルハーモニー室内合奏団フルート奏者。ソリストとしても活躍中。

 放送:3月19日(日)、再放送:3月24日(金)

〈曲目〉
①「この道」を主題とする変奏曲(山田耕筰 作曲)

②「魔弾の射手」幻想曲 (タファネル作曲)

③マイ・フェイバリット・ピース(お気に入りの1曲)

 メモの用意をしていなくて、書けなかったため、曲名が不明。あまり知られていない英国の作曲家の作品だった。FM放送を聴いて、名前を確認したい。

 市川さんは中学校から吹奏楽部でフルートを吹いてきたという。銀のフルートを深みのある音が出るので、愛用しているという。 




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# by rockyj | 2017-02-05 11:22 | Comments(2)  

天皇の退位

  有識者会議の論点整理  
2017.1.27

  天皇の退位についての政府の有識者会議が、1月23日に論点整理の報告を提出し、公表した。

 私は天皇陛下がNHKテレビで、お言葉を放送されるのを聞いたのだが、陛下が83歳という年齢になり、式典で言葉を間違うこともあるということを話されるのを聞き、ご高齢になれば、そういうことも出てくるだろうと心より同情した。

 また、天皇陛下が国内だけでなく、毎年のように外国訪問をされているお姿をみるたびに、本当に大変なお仕事をされていると感じるとともに、普通なら80歳を過ぎて外国旅行をすることは、あまりないのではないかとも思った次第だ。

 今回のお言葉を受けて、政府がこの生前退位について取り組みを始めた。生前退位という言葉については、以前にも書いたが、正しくは「譲位」という言葉がふさわしい。

 美智子妃殿下は、報道された「生前退位」という文言に大きなショックを受けたということを宮内庁の記者団の求めに応じて、書いておられた。この言葉は語感がよろしくない。

  【論点整理のポイント】


 《一代限りで退位を認める案》  

  (利点) 政治・経済状況や天皇の考え方、世論は、時代ごとに変化する 

 (課題) 天皇の高齢化は、将来も起こりうる

 《将来の天皇にも適用する案》 

 (利点) 「皇室典範」改正による制度化は、憲法の趣旨に沿う

 (課題) 個々の天皇で事情が変わるので、制度化は難しい

 「論点整理」では、天皇の退位を認める場合の方法について、特定の結論は明示しなかったが、恒久制度化は課題が多く、今の陛下に限ることが妥当であるとの立場をにじませたものとなっている。

  《論点整理から抜粋する》 

 〇「皇室典範」第4条は、崩御のみを皇位継承事由としており、退位を実現するには、何らかの立法措置が必要である。

  〈積極的に進めるべきという意見〉8件 

 〇皇太子さまは現在56歳。陛下が終身在位されると、例えば陛下が100歳になられたとき、皇太子さまは73歳であられることが想定される。陛下が退位され、皇太子さまが即位されることにより、円滑な皇位継承が行われ、象徴としての全てのご活動が途切れることなく、安定的に継続されるのではないか。

 [課題]8件 

 〇退位を皇位継承事由とすれば、ある年齢に達すれば機械的に退位する制度としない限り、天皇の意向、内閣や国会の発意など、何らかのきっかけが必要とならざるを得ず、天皇の地位が不安定となるのではないか。

 【イ、将来の全ての天皇を対象とする場合】 

 [積極的に進めるべきとの意見 10件]

 〇憲法において皇位継承は、皇室典範で定めることとされており、皇室典範に恒久的な制度が定められている。新たな制度を作る場合は、皇室典範を改正し、恒久的な制度とすることが憲法の趣旨に沿ったものとなるのではないか。(憲法との整合性に関する主張)

 〇陛下に限ったものとする場合、後代に通じる退位の基準や要件を明示しないことになるので、後代、様々な理由で容易に退位することが可能になるのではないか。その場合、時の政権による恣意的な運用も可能になるのではないか。

 〇過去の124代の天皇のうち、半数近くの58方が退位をしており、歴史的にはむしろ退位が皇位継承事由の原則であった。
 退位を否定した明治の皇室典範の制度以降の事例は、むしろ例外であり、長い皇室史の原則にもどるべきではないか。

  [課題 23件]


 〇皇位継承者との年齢差、政治・社会情勢、国民の意識など天皇を取り巻く状況もさまざまに変わり得るので、その時代時代において、その時の国民が、その時の天皇を取り巻く状況を踏まえて、退位の是非を判断することが望ましいのではないか。

 【ロ、現在の陛下に限ったものとする場合】 

 [積極的に進めるべきだとの意見 4件] 

 〇今回は陛下のご状況を受け止めて、例外的に退位していただくこととし、仮に将来、退位について考えるべき状況が生じた場合においては、退位の是非について、その時に、皇位継承者との年齢差や皇室の状況、国民の意識や社会情勢などを踏まえ、国会等において判断することが、国民の意思を最も的確に反映したものになるのではないか。

 [課題 3件]


  〈考察〉


 ①天皇陛下の退位についてのアンケート調査によると、国民は一代限りでなく、恒久的な制度を作ることを望んでいる声が圧倒的に多いという。

 論点整理で恒久制度化には課題が多く挙げられている。たとえば、ある一定の年齢に達したら機械的に退位する考えも示されたが、現在の法律でも「高齢」の概念については、幅が広く、明確な線引きがされていないことから、「一定の年齢をもって定義することは困難ではないか」と指摘されている。

 今後も高齢化が進展することは当然予想できることであるから、「皇室典範」に退位の条件として、「一定の年齢」を明記する必要はないと考える。

 ②「皇室典範」には、
  ・天皇は退位することができる
  ・天皇は退位の意思を皇室会議で表明し、これを政府は受けて国会で論議して、基本的に天皇の  退位を承認する

  このような趣旨の文言をのせて、「皇室典範」を改正することはできないだろうか。

 ③現在の皇室典範では、天皇が崩御したときには男子が後継者となることが明記されている。男子の後継者は3名のみであるから、今後のことを考えたとき、女系天皇についても「皇室典範」に明記できるようにしなければならないのではないか。

 仮に一代限りの退位ということで、今回の課題が果されたとしても、政府は今後、十分な時間をかけて女性宮家の創設と女系天皇について国会で論議を深め、国民の合意が形成されるようにしなければならないと考える。

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# by rockyj | 2017-01-27 09:52 | Comments(0)  

初登り

  金剛山に初登り 
 2017.1.6
   昨年の10月23日に、日光の男体山で百名山登山を達成したのだが、山から帰宅してから体に発疹が出て,チクチクと痛い。10月28日に受診したら、「ヘルペス」(帯状疱疹)と診断されて、完治するまでにおよそひと月かかった。

 ヘルペスという病気にかかったのは初めてで、最初の1週間は抗ウイルス薬を飲んだ。その後、薬をもらいに再び受診すると、もう薬は出ないということで驚いた。

 医者の言う通り、ひと月で治ったのだが、この間、激しい運動はしないように言われたので、登山もできないし、あまり出かけないようにした。

 しかし、中学校の同窓会も迫っているし、そちらの準備の仕事はパソコンで毎日のように行っていった。

 同窓会では、鹿児島の焼酎のお湯割りを美味しくいただいた。

 12月も何かと用事があり、山には足が向かなかったので、今日は2か月ぶりの登山ということになる。ネットで山頂のライブカメラの画像を見ても、雪はない。

 〈ダイトレコースを歩く〉


河南町の青崩(あおげ)の先で、国道309号から右手にある旧309号線に車を走らせる。5分ほどで右手にある駐車場に入れる。

 登山靴に履き替えて、準備運動をして、車道に出る。少し行くと、昨年末にテレビでしきりに取り上げられた堺市の5歳男児の遺体が発見された河川敷が左手にある。きれいな水が流れる幅の狭い川だが、ここで捜索が行われる様子がテレビで流された。その時、航空写真で駐車場が映ったので、水越峠の近くだと分かった。道路沿いに花束がいくつか置かれている。

 9:35 水越峠に着く。左の登山道からは大和葛城山へ。こちらは右手にある大きな鉄のゲート横から、ダイトレコースを金剛山に向かって歩き始めた。

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 9:44 ススキの穂が太陽を浴びて輝く
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 10:05 いつも水を飲む休憩ポイント「金剛の水」

 二か月ぶりの登山なので、始めの林道歩きでは足も重かったが、登山口に着いたころから、調子が戻ってきた。
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 11:02 葛城山がきれいに見える撮影ポイントから。
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 11:28 葛城神社に詣でる
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 11:44 転法輪寺にも詣でる

 この後、捺印所で登山カードに捺印していただく
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 11:50 山頂広場にて
 大阪湾までよく景色を眺めることができた
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 今年も新しい札が下げてあった
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 太尾尾根を下山していく
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 古い石塔に花が供えてある
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 13:32 登山口に下山する

 往復4時間の行程だった。




 






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# by rockyj | 2017-01-15 12:35 | Comments(0)